「産業医の先生に『この社員を異動させるか、決めてください』とお願いしたら、『それは会社が決めることです』と言われました。産業医の権限って、どこまでなんでしょうか」——産業医とのやり取りに迷っている人事の方から、よくいただく質問です。
先に結論です。産業医の権限は、法律で決まっている「勧告する」「意見を述べる」「必要な情報を求める」「職場を巡視する」「緊急時に指示する」の5つです。なかでも勧告は重く、会社は勧告を尊重し、勧告の内容と会社がとった措置を記録して3年残し、衛生委員会に報告しなければなりません。一方で、異動・降格・解雇・休職命令といった人事の決定をするのは、産業医ではなく会社です。産業医の仕事は、健康の面から方向性を示すことです。
私は名古屋で産業医をしている角田拓実です。顧問先で人事の方とやり取りしていると、「産業医に決めてほしい」「産業医の意見には必ず従わないといけないのか」という迷いをよく聞きます。この記事では、法律で決まっている権限と、現場での線引きを、私の経験からまとめます。
産業医の権限とは?——法律で決まっている5つ

産業医の権限は、労働安全衛生法と労働安全衛生規則に書かれています。2019年4月の改正(働き方改革関連法)で、勧告を衛生委員会に報告することや、会社から産業医への情報提供が義務になりました。
| 権限 | 中身 | 根拠 |
|---|---|---|
| 勧告する | 働く人の健康を守るために必要なとき、会社に健康管理について勧告できる。会社は尊重し、衛生委員会に報告する | 労働安全衛生法 第13条第5項・第6項 |
| 意見を述べる | 健康診断・面接指導・作業環境などについて、会社や総括安全衛生管理者に意見を述べる。衛生管理者には指導・助言ができる | 労働安全衛生規則 第14条第3項・第14条の4 |
| 情報を求める | 月80時間を超えて時間外・休日労働をした人の氏名と時間、健診のあとの措置の内容などを会社から受け取る。業務の情報を求めたり、働く人から話を聞いたりできる | 法 第13条第4項、規則 第14条の2・第14条の4 |
| 職場を巡視する | 毎月1回(条件を満たせば2か月に1回)職場を回り、健康に害があるおそれがあれば、すぐに必要な措置をとる | 規則 第15条 |
| 緊急時に指示する | 健康を守るために緊急の必要があるとき、働く人に必要な措置をとるよう指示する | 規則 第14条の4第2項第3号 |
会社は、産業医がこれらの仕事をできるように権限を与えなければなりません(規則第14条の4第1項)。また、勧告や指導・助言をしたことを理由に、産業医を解任するなどの不利益な扱いをしないようにすることも決まっています(規則第14条第4項)。産業医が辞任したとき、または解任したときは、その旨と理由を衛生委員会に報告します(規則第13条第4項)。
産業医の勧告とは?——めったに出さない。出す前に会社と話して解決する

「勧告を出したことはありますか」と聞かれることがありますが、私は、正式な勧告はまだ出したことがありません。勧告を出す前の段階で、ほとんどのことが解決するからです。理由をきちんと話して「このままだと、まずいですよ」とお伝えすれば、会社は聞いてくれます。
ただ、本当に話を聞いてもらえないときはあります。そのときに勧告を使うことは、ありえます。それでも、勧告を出すときは、会社とやりとりをしながら出すものだと考えています。いきなり書面を突きつけるものではありません。
これは法律の決まりとも合っています。産業医は、勧告をしようとするとき、あらかじめその内容について会社の意見を求めることになっています(規則第14条の3第1項)。勧告を受けた会社がすることは、次の3つです。
| 勧告を受けた会社がすること | 中身 | 根拠 |
|---|---|---|
| 尊重する | 勧告の内容を尊重する | 法 第13条第5項 |
| 記録して3年残す | 勧告の内容と、勧告を踏まえてとった措置(とらない場合は、その旨と理由) | 規則 第14条の3第2項 |
| 衛生委員会に報告する | 勧告を受けたあと遅滞なく、勧告の内容と、とった措置・とろうとする措置(とらない場合は、その旨と理由) | 法 第13条第6項、規則 第14条の3第3項・第4項 |
意見書・巡視のあとの意見書・勧告書の違いと、書面を出す場面は産業医意見書を出すべき場面・出さなくていい場面にまとめています。
産業医に頼めること・頼めないこと——異動・降格・解雇は会社が決める

人事の方から「それは産業医の先生が決めてください」と頼まれて、「それは会社が決めることです」とお返しする場面は、実際にあります。
産業医は、会社のことにくわしくあるべきだと私は思っています。それでも、「こういう手順で、ここをこう決めてください」というところまでは、なかなか言えないことが多いのです。産業医の多くは月1回の訪問で関わっているので、そのあいだの段取りや流れは、会社が最終的に決めてください。ただ、健康の面から方向性を示すのは産業医の仕事なので、そこは任せていただければと思います。
異動・降格・解雇について、産業医が確定的な決定をすることはできません。たとえば「異動してください」と言ったとしても、次の部署でその人がどうなるのか、受け入れの状況はどうか、という根回しまでは、産業医にはできないからです。
| 場面 | 産業医に頼めること(方向性) | 会社が決めること |
|---|---|---|
| 異動・配置 | 「今の業務の負荷は下げたほうがいい」「夜勤や運転は外したほうがいい」 | どの部署へ、いつ、誰が受け入れるか |
| 降格・役職 | 「しばらく責任の重さを軽くしたほうがいい」 | 役職・給与の扱い(就業規則に沿って) |
| 休職・復職 | 「働けるか」「どの条件なら働けるか」の意見 | 休職命令・復職の決定、休職期間の満了の扱い |
| 解雇・退職 | 健康の面から働けるかどうかの意見 | 解雇・退職の判断(労務の専門家や弁護士と) |
| 社内の段取り | 進め方の方向性と、気をつける点 | 誰が、いつ、何をするかの流れ |
産業医に相談できることは、健康診断の結果の見方、長時間労働やストレスチェックの面接指導、休職・復職、職場の環境、メンタルヘルス不調の社員への接し方など、健康にかかわることなら幅広くあります。社員本人からの相談の受け方は産業医を相談窓口として使うならで紹介しています。
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産業医の意見を会社が聞かないと、どうなる?——「会社として不利になる」と伝える

よくあるのは、体調を崩した社員について、産業医が「休ませたほうがいい」「仕事に制限をかけたほうがいい」と伝えたのに、会社が「この人は今忙しいから、働いてもらう」と決める場面です。
そのとき私は、「それは会社として不利になることが非常に多いですよ」「この方の体調が悪くなったときに、責任を取ることができますか」とお話しします。真剣に聞いていただくのがいちばんですが、それでも難しいときは、どんなリスクがあるのかを具体的にお伝えしていきます。
健康診断や面接指導のあと、医師の意見を勘案して必要な措置をとるのは会社の義務です(労働安全衛生法第66条の5・第66条の10第6項)。会社には、社員が安全に働けるよう配慮する義務もあります(労働契約法第5条)。意見を聞かずに働かせて体調が悪くなれば、「医師から言われていたのに」という事実が会社に不利に働きます。
一方で、現場ではきれいに割り切れないこともあります。本当に大事な仕事を担っている方がいて、その人が働けなくなると会社が止まってしまう、ということもありえます。仕事を止めた結果、事業がそもそも成り立たなくなるのであれば、産業医も「すぐに止めてください」とだけは言えないことが多いのです。
そういうときは、止めるか続けるかの二択ではなく、残業だけは外す、受診を最優先にする、期限を決めて見直す、といった間の手を会社と一緒に探します。こうした「その人がいないと回らない」社員への対応は健康診断の事後措置で、就業制限の強さと強制力は就業制限の基準と強制力で解説しています。
何度話しても意見が通らない、反対に産業医が方向性を示してくれない——こうしたすれ違いが続くなら、産業医との契約の見直しも考えてください。交代の手順と時期は産業医の変更・交代の手順にまとめています。
よくある質問
Q1. 産業医の勧告に従わないと、罰則はありますか?
勧告に従わないこと自体への罰則は、労働安全衛生法にはありません。ただし会社は勧告を尊重する義務があり、勧告の内容ととった措置(とらないときはその理由)を記録して3年残し、衛生委員会に報告しなければなりません。社員の健康が悪くなったとき、会社の責任を問われる材料になります。
Q2. 産業医は社員に休職を命じることができますか?
できません。休職を命じるのは会社で、就業規則に沿って決めます。産業医は「働けるか」「休んだほうがいいか」の意見を出し、会社はその意見を勘案して措置を決めます。
Q3. 産業医に異動先を決めてもらえますか?
産業医が示すのは「今の業務の負荷を下げたほうがいい」「夜勤は外したほうがいい」といった方向性までです。どの部署に、いつ異動するか、受け入れをどうするかは会社が決めます。産業医は月1回ほどの訪問で関わることが多く、異動先の受け入れの根回しまではできないためです。
Q4. 産業医から残業時間などの情報を求められたら、出す必要がありますか?
はい。月80時間を超えて時間外・休日労働をした人の氏名と時間は、算定したあと速やかに産業医に渡す決まりです。そのほか、産業医が健康管理に必要と認めて求めた業務の情報も、速やかに提供します(労働安全衛生規則第14条の2)。
Q5. 勧告をしてきた産業医を解任できますか?
勧告や指導・助言をしたことを理由に、解任などの不利益な扱いをしないようにしなければなりません(労働安全衛生規則第14条第4項)。産業医を解任したときは、その旨と理由を衛生委員会に報告します(同第13条第4項)。
まとめ:産業医は方向性を示し、決めるのは会社
- 産業医の権限は、勧告・意見・情報の請求・職場巡視・緊急時の指示の5つ
- 勧告を受けた会社は尊重し、内容と措置を記録して3年残し、衛生委員会に報告する
- 正式な勧告はめったに出ない。出す前に、理由を話して会社と解決するのがふつう
- 異動・降格・解雇・休職命令を決めるのは会社。産業医は健康の面から方向性を示す
- 意見を聞かずに働かせると、会社として不利になることが多い。止められない事情があるときは、間の手を一緒に探す

