「産業医との契約はもう切れているのに、届出はどうすれば…」——現役産業医として、この”宙ぶらりん”の相談を何度も受けてきました。結論から言うと、2026年(令和8年)8月1日から、産業医の辞任・解任・退任があった場合、事業者は所轄の労働基準監督署へ報告することが義務になります(労働安全衛生規則の改正)。対象は常時50人以上の事業場。これまで報告義務がなく「変更」でなんとなく処理されてきた部分に、はじめてルールが引かれます。
2026年8月から何が変わる?産業医の辞任・解任に「報告義務」が新設

報告のための特別な新様式が作られるわけではありません。従来の「産業医選任報告」(電子申請が原則)の仕組みを使って届け出るかたちが想定されています。届出の実務そのものは、慣れてしまえば難しいものではありません。
選任そのものの期限や届出の基本は、産業医の選任届を電子申請で試してみたら意外と簡単だった話にまとめています。制度の一次情報は、改正内容が確定した後の厚生労働省・所轄労働局の案内で必ず確認してください。
なぜ今?現状は「解任」ではなく「変更」で済まされてきた

「なぜわざわざ報告を義務化するのか」を理解するには、これまでの”ゆるさ”を知る必要があります。現状、産業医の「解任届」という紙は存在しません。だから実務では、解任という認識ではなく「変更」として処理されることがほとんどでした。
改正の狙いは、まさにここにあります。辞任・解任のタイミングで報告が入れば、労働基準監督署は各事業場でいま誰が産業医なのか、そもそも選任されているのかを正確に把握できます。裏を返せば、未選任や「名前だけ残っている」状態が可視化されるということです。
「選任されたまま放置」は、未選任と地続きのリスクです。産業医を置く義務そのものと罰則については、産業医を選任しないと罰則50万円?未選任・名義貸しのリスクで解説しています。
報告義務化の隠れた意味——産業医の立場が確立し、不当な解任を抑止する

行政の狙いは「選任状況の把握」ですが、現役産業医として、私はもう一つの意味を感じています。それは産業医の立ち位置が、これまでより一段しっかり確立されるということです。
産業医は、従業員の健康を守る立場から、時に会社にとって耳の痛い意見も言わなければなりません。ところが辞任・解任に何のチェックも入らないと、極端な場合「都合の悪いことを言う産業医を、静かに入れ替える」ことも理屈のうえでは可能でした。報告というワンステップが挟まることで、一方的・不当な解任がやりにくくなる。結果として、産業医が安心して意見を述べられる環境に近づきます。
解任される産業医の典型は「実務をしていない」ケース

実際に会社が産業医を解任・交代するとき、その理由はどんなものが多いのか。私が引き継いできた実感では、圧倒的に多いのは「産業医としての実務をしていなかった」ケースです。
職場巡視に来ない、衛生委員会で意見を言わない、健診結果を見ていない——産業医として本来やるべきことが行われていない。「忙しくて来られなかった」「本業の診療でそこまで手が回らなかった」という背景も多く見てきました。こうした状態が続き、あるとき会社が「これはまずい」と気づいて交代に動く、という流れです。
昨今はメンタルヘルス対応や労働時間の管理、働き方改革への対応など、企業に求められる産業保健の水準が上がっています。「やるべきことをやっていない産業医」を放置すること自体が、会社にとって大きなリスクになってきました。だからこそ、解任は「実際に機能していなかったよね」という確認とセットで、衛生委員会などの場で議題になることが増えていくはずです。
「うちの産業医、機能しているだろうか」と少しでも感じたら、「産業医を変えたい」と思った人事担当者へ|放置するリスクと正しい変更手順が具体的な進め方の参考になります。
「辞任」が起きるとき——企業が本気で取り組みたくなった時
解任だけでなく、産業医側からの「辞任」もあります。こちらにも典型パターンがあります。多いのは、企業のほうが産業保健に本気で取り組みたくなったのに、現状の産業医がそれに応えられないというケースです。
「毎月の訪問までは難しい」「ストレスチェックの全部には対応できない」——そう言われて、会社が泣く泣く別の医師にバトンタッチする場面を、私は何度も見てきました。以前は”来てくれるだけでよかった”会社が、しっかりやりたいと考えるタイミングが確実に増えている。その温度差が、辞任というかたちで表面化するのです。
失敗しない乗り換えの段取り——14日以内・でも焦らない

ここが実務でいちばん大事なところです。産業医の交代は、「早めに次を見つけて、上手にバトンタッチできるタイミングで乗り換える」のが鉄則です。
おすすめは、時間に余裕を持った座組みです。たとえば「半年後に変更」と決めて前任にも伝え、その間にじっくり次の産業医を探す。焦らずに引き継げる段取りを組んでおけば、空白も、選び直しの失敗も避けられます。急いで選んだ産業医がのちのち負債になる構造は、「急いで選んだ産業医」が5-10-15年後に企業に残す3つの負債で詳しく解説しています。
会社が2026年8月までに確認しておくこと

施行は2026年8月1日です。それまでに、いちど自社の状況を棚卸ししておくと安心です。特に「過去に産業医を変えたが、届出まわりがあいまいなままになっている」会社は、この機会に整理しておきましょう。
- 各事業場(50人以上)で、いま選任している産業医が実際に機能しているかを確認する
- 過去に交代した産業医が「選任されたまま」の記録になっていないかを点検する
- 交代を検討しているなら、前任を切る前に後任を確保する段取りを先に組む
- 辞任・解任・退任があったら、後任の選任報告のなかで前任者情報を届け出る運用を徹底する
まとめ:報告義務化は「体制を見直す」きっかけ
- 2026年(令和8年)8月1日から、常時50人以上の事業場で産業医の辞任・解任・退任は労基署への報告が義務になる
- 後任を選任し、その選任報告で前任者の氏名・年月日を届け出れば、別途の報告は不要
- 本質は手続きより「契約は切れたのに選任されたまま=責任が宙に浮く」状態をなくすこと
- 報告が挟まることで、産業医の立場が確立し、一方的な解任がしにくくなる
- 交代は「次を確保してから」。焦って決めると選び直しの失敗につながる
報告義務化は、単なる事務手続きの追加ではありません。「自社の産業医は、本当に機能しているか」を見直すよい機会です。制度の一次情報は厚生労働省やe-Gov法令検索(労働安全衛生法・労働安全衛生規則)で確認し、あわせて産業医の解任手続き完全ガイドもご覧ください。
よくある質問
Q. 報告を怠ると罰則はありますか?
2026年8月施行の報告義務について、現時点で公表されている情報では、報告を怠った場合の具体的な罰金額などは明示されていません。ただし、労働基準監督署の是正指導の対象となる可能性は十分にあります。罰則の有無以前に、報告を怠ると「選任状況が不明確なまま」になり、未選任と同様のリスク(安全配慮義務違反など)を残す点に注意が必要です。正式な規定は厚生労働省・所轄労働局の案内でご確認ください。
Q. 後任がまだ決まっていない場合はどうすればいいですか?
後任の選任報告で前任者情報を届け出れば辞任・解任の報告は不要、という特例があるため、実務上は「後任を選任してまとめて届け出る」のがスムーズです。ただし産業医の選任には事由発生から14日以内という期限があります。後任が決まらないまま前任だけがいなくなる空白は避けるべきで、交代を考えるなら後任の確保を先に進めることをおすすめします。
Q. 「辞任」と「解任」で手続きは変わりますか?
今回の改正では、辞任・解任・退任のいずれの場合も報告の対象とされています。会社側から交代を求めた(解任)か、産業医側から辞めた(辞任)かにかかわらず、産業医が交代したという事実を労基署が把握できるようにする、という趣旨です。実務では後任の選任報告のなかで前任者情報を届け出れば足りるため、辞任・解任で届出のやり方が大きく変わるわけではありません。
Q. 常時50人未満の事業場も報告が必要ですか?
今回の報告義務は、産業医の選任義務がある常時50人以上の事業場が対象です。50人未満の事業場には産業医の選任義務がないため、この報告義務も基本的には対象外です。ただし、50人未満でも安全配慮義務そのものは規模に関係なく残るため、健康管理体制を持っておく意義は変わりません。
Q. 専用の解任届の様式はどこにありますか?
現時点では、辞任・解任専用の新しい様式が作られる予定は示されていません。従来の「産業医選任報告」(電子申請が原則)の仕組みのなかで、後任の選任とあわせて前任者の情報を届け出るかたちが想定されています。最新の様式や電子申請の方法は、厚生労働省の様式ダウンロードコーナーや所轄労働局の案内で確認してください。

